2020/05/01

COVID-19: トリアージ

 新型コロナの感染拡大を止めるため、今、世界中ほとんどの国で活動自粛が行われている。日本でも連日自粛の強化を呼びかける報道がなされ、社会全体が公私にかかわらずあらゆる活動を停止させようと動いている。未知のウイルスにより既存の社会システムが根底から揺らいでしまったことにより、人々は一種のパニック状態に陥ってしまっているのだ。
 しかし、現実的に言って、これほど広範囲に渡る活動自粛には限界がある。自粛を続ければ続けるほど、経済的なダメージが累進的に増大するからだ。経済が破綻すれば、医療崩壊とは比べ物にならないほどの死者が出る。だが、いまだ多くの人々はその現実に目を向けていない。コロナによる犠牲者を一人でも減らすため、その他の損害を度外視した政策が国民の圧倒的支持の下に進められている。
 日本の新型コロナ対策は数ヶ月以内に転換点を迎えるだろう。その兆候はすでに他の国々で表出している。ロックダウンに反対するデモが起きているアメリカや、感染抑制を放棄して早期の集団免疫獲得を目指すスウェーデン、あるいは単純に経済を優先させているブラジルなどがそうだ。
 多くの日本人はこういった動きを『愚行』と認識している。WHOや政府、そして専門家たちが疫学の観点から、「そんなやり方では多くの犠牲者が出る」と言っているからだ。しかし、「感染拡大を阻止する」という目的においては間違った選択だとしても、「国民の幸福」という目的においては正しい選択なのかもしれない。感染拡大を阻止して1万人の高齢者を救ったとしても、経済を崩壊させて1万人の労働者を自殺に追い込んでしまっては本末転倒だ。近視眼的な人権思想がより多くの人間を死なせることもあるのだと、我々は知っておかなければならない。
 いつだって国家の第一の目的は「国民の幸福」であり、全ての論理はその前提の下に展開されなければならない。だが、多くの人はこの二つを同一視してしまっているが故に、自粛が唯一絶対の解決策だと盲信し、要請に従わない人々を悪と決めつけ誹謗中傷しているのである。

 近頃よく耳にする『トリアージ』という言葉は、『選別』を意味するらしい。医者が助かる見込みがある患者を優先して治療し、そうでない患者は見殺しにする。そうしなければならないほど医療現場は逼迫している。
 そして、このトリアージはやがて医療現場だけに留まらず、社会全体に広がっていくだろう。誰の生活を優先的に守るのか。若者か、老人か。マジョリティか、マイノリティか。全ての国民の生命財産を保障できなくなった時、『大の虫を生かすために小の虫を殺す』という社会の原則、すなわち国家によるトリアージが発動することを我々は覚悟しておかなければならない。