2015/10/26

ネパール、運命の分かれ道か

 ネパール新憲法が発布されて、一ヶ月―――ネパール~インド国境周辺の混乱は未だ解決の気配を見せる事なく、ガソリンやプロパンガスの欠乏も極限状況に近づいている。そんな中、ネパールは最大の祭りである【ダサイン】【ティハール】の季節を迎えている。日本で言うところの「盆と正月」みたいなものだが、カトマンズなどの都市部では、地方に帰省する人々が本数の激減したバスの空席を巡って、大混乱に陥っているという。
 燃料危機の煽りを受けているのは一般市民だけではない。外国人旅行者にとっても気候も穏やかで晴天が続く今は時期は、本来であればトレッキングのベストシーズンである。だが、現在進行中の燃料危機によって、最大の書き入れ時にもかかわらず、旅行者数は震災直後の最悪の水準にまで逆戻りしている。また、カトマンズ空港に乗り入れている中国の国際線も、燃料不足の影響で一時的に運行を停止している。このままの状態が続けば、やがてそれは他の航空会社にも波及するかもしれない。
 ネパール政府はインド政府と引き続き対話を続けており、解決の糸口を探ってはいるようだが、実際どこまで本気なのかは分からない。ネパールのニュースや新聞の情報もまとまりが無く、どれが本当なのか分からない。ならば、BBCやアルジャジーラなど海外の主要メディアはどうかというと、今はヨーロッパの難民問題やパレスチナ紛争で忙しく、最貧国ネパールには誰も関心を持っていない。そんな訳で、ほとんどのネパール人同様、私自身も今現在の状況を正確に把握できていないのである。
 だが、一つ明らかなのは、多くのネパール人が今の状況の責任は全てインドにある、と考えている事だ。私が調べた限りでは、物資の輸送を妨害しているのはネパール側のマデシ系住民で、物資を積んだトラックは国境のインド側でずっと待機している状況のようだが、それでもネパール人の間では反インド感情が燃え上がっている。

2015/10/13

ネパール新憲法の試練

 ネパール新憲法の発布から一夜明けて、まだまだ街には祝賀ムードが漂う中、突如、その熱気に冷水どころか液体窒素を浴びせるようなニュースが流れてきた。それは「インドが新憲法の内容に反発し、ネパールとの国境を閉鎖した」というものだった。
 これはネパールの新たな船出が、出航翌日にして早くも最大級の嵐に見舞われた事を意味する。

2015/10/06

ネパール新憲法の誕生

 2015年9月20日午後5時―――およそ7年もの『産みの苦しみ』を経て、ようやくネパールの新憲法が発布された。
 首都カトマンズでは花火が上がり、私が滞在するポカラでもあちらこちらでキャンドルが灯され、人々が新しいネパールの誕生を祝っていた。
 憲法の制定までに7年もの時間を要したのは、単純に言って、大小様々な政党や民族・宗教団体などが自分たちの利益や権力のため、それぞれ自分勝手な主張を叫び続けた結果である。
 7年前、国軍とマオイスト(毛派共産主義政党)との内戦終結後、新憲法を作るメンバーを決める制憲議会選挙が行われたが、結局、その2年の任期内で意見をまとめる事が出来ず、解散となった。その後、改めて制憲議会メンバーの選挙が行われたが、相変わらず話し合いは不毛な平行線のまま、さらに5年が無駄に費やされた。