2015/11/18

なぜパリばかり注目されるのか

先日のパリ同時テロ事件のすぐ後から、世界中で建物をフランス国旗の色にライトアップし、フランスへの哀悼と連帯感を示す現象が見られた。
一日遅れて日本でも東京タワーとスカイツリーが青白赤の三色にライトアップされた。
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でも、多くの人が自分のプロフィール画像をトリコロールカラーにしている。
しかし、こういった世界の安っぽい連帯表明に対して、違和感を訴える声が大きくなっている。
その代表的なものは、以下の通りだ。

「なぜパリばかり注目されるのか」
「前日にレバノンでも40人以上が犠牲になる連続自爆テロが起きているのに、どうしてその事には誰も関心を示さないのか」
「アラブ人の命はフランス人のそれより軽いのか」
「これは人種差別だ」

こういったフランスとレバノンに対する人々の関心度の格差を指摘する声は、今やアラブ世界だけでなくそれ以外の人々にも広まっている。
フランスへの連帯に対抗して、レバノンの国旗を自分のプロフィール写真に重ねる人々も増えている。
そういったわけで、遅ればせながら私も自分のプロフィール写真をトリコロールカラーにしてみた。

2015/10/26

ネパール、運命の分かれ道か

 ネパール新憲法が発布されて、一ヶ月―――ネパール~インド国境周辺の混乱は未だ解決の気配を見せる事なく、ガソリンやプロパンガスの欠乏も極限状況に近づいている。そんな中、ネパールは最大の祭りである【ダサイン】【ティハール】の季節を迎えている。日本で言うところの「盆と正月」みたいなものだが、カトマンズなどの都市部では、地方に帰省する人々が本数の激減したバスの空席を巡って、大混乱に陥っているという。
 燃料危機の煽りを受けているのは一般市民だけではない。外国人旅行者にとっても気候も穏やかで晴天が続く今は時期は、本来であればトレッキングのベストシーズンである。だが、現在進行中の燃料危機によって、最大の書き入れ時にもかかわらず、旅行者数は震災直後の最悪の水準にまで逆戻りしている。また、カトマンズ空港に乗り入れている中国の国際線も、燃料不足の影響で一時的に運行を停止している。このままの状態が続けば、やがてそれは他の航空会社にも波及するかもしれない。
 ネパール政府はインド政府と引き続き対話を続けており、解決の糸口を探ってはいるようだが、実際どこまで本気なのかは分からない。ネパールのニュースや新聞の情報もまとまりが無く、どれが本当なのか分からない。ならば、BBCやアルジャジーラなど海外の主要メディアはどうかというと、今はヨーロッパの難民問題やパレスチナ紛争で忙しく、最貧国ネパールには誰も関心を持っていない。そんな訳で、ほとんどのネパール人同様、私自身も今現在の状況を正確に把握できていないのである。
 だが、一つ明らかなのは、多くのネパール人が今の状況の責任は全てインドにある、と考えている事だ。私が調べた限りでは、物資の輸送を妨害しているのはネパール側のマデシ系住民で、物資を積んだトラックは国境のインド側でずっと待機している状況のようだが、それでもネパール人の間では反インド感情が燃え上がっている。

2015/10/13

ネパール新憲法の試練

 ネパール新憲法の発布から一夜明けて、まだまだ街には祝賀ムードが漂う中、突如、その熱気に冷水どころか液体窒素を浴びせるようなニュースが流れてきた。それは「インドが新憲法の内容に反発し、ネパールとの国境を閉鎖した」というものだった。
 これはネパールの新たな船出が、出航翌日にして早くも最大級の嵐に見舞われた事を意味する。

2015/10/06

ネパール新憲法の誕生

 2015年9月20日午後5時―――およそ7年もの『産みの苦しみ』を経て、ようやくネパールの新憲法が発布された。
 首都カトマンズでは花火が上がり、私が滞在するポカラでもあちらこちらでキャンドルが灯され、人々が新しいネパールの誕生を祝っていた。
 憲法の制定までに7年もの時間を要したのは、単純に言って、大小様々な政党や民族・宗教団体などが自分たちの利益や権力のため、それぞれ自分勝手な主張を叫び続けた結果である。
 7年前、国軍とマオイスト(毛派共産主義政党)との内戦終結後、新憲法を作るメンバーを決める制憲議会選挙が行われたが、結局、その2年の任期内で意見をまとめる事が出来ず、解散となった。その後、改めて制憲議会メンバーの選挙が行われたが、相変わらず話し合いは不毛な平行線のまま、さらに5年が無駄に費やされた。

2015/05/18

現状報告

先週12日、カトマンズの北東を震源とする大きな余震が発生したが、その後のネパールの状況を報告したいと思う。

まず、私のいるポカラは余震から数日間、学校が休みになるなど多少の混乱はあったものの、現在はほぼ平常に戻っている。
しかし、震源地近くの被災地はさらに深刻な被害に見舞われている。
最初の地震でかろうじて全壊をまぬがれたものの、今回の余震によってとどめを刺された建物は数多く、また、度重なる余震によって土砂崩れや落石も頻発しており、そういった地域では村そのものを放棄して他所に移住するよう、住民に指示が出ているという。
多くの人々が親戚などを頼ってカトマンズや近郊の町へ移っているが、自分の土地や家畜を捨てて、他所に移住するのは容易な選択ではない。
最初の地震からすでに3週間が経過したが、余震はおさまる気配も無く、多くの人々が外で寝ている状況も変わらない。
ただ一方では、政府や国際機関などの大規模な救援がすでに各地に入っており、またそれに加え、中小の団体や個人による支援物資の配布なども断続的に行われているようで、さしあたり「食べるものや着るものが無い」といったような危機的な状況はおおむね解消されているようではある。
そこで私は今後、誰にどういった支援をしていくべきなのか考えてみた。

2015/02/16

イスラム国邦人人質事件 その2

さて、他の過激派組織と比べてもぶっちぎりで頭悪そうなこの【イスラム国】と名乗る集団は、何故これほど急速に勢力を拡大することが出来たのだろうか。
その理由は、大きく2つ挙げられると思う。

まず一つは、彼らの現代的なメディア戦略だ。
報じられている通り、【イスラム国】には数多くの外国人が参加している。(※米当局の発表では2万人超)
イラク・シリア周辺のイスラム諸国からの参加者が最も多いが、イスラム系移民の多いヨーロッパからもかなりの数が参加しているという。
彼らは移民ではあるが、ヨーロッパで生まれ育った2世や3世たちなので、知識や技能は我々と変わらない。
その知識や技能が【イスラム国】の宣伝活動に活用され、ネットを通して世界中の人間にダイレクトにメッセージを発信することが出来たのである。
それも英語・フランス語・ドイツ語といった、彼らが教育を受けた国の言葉で、である。
これが非常に大きかったと私は考えている。
【イスラム国】のプロパガンダ映像の中で、自分たちと同じ言葉を話す、自分たちと同じような年代の若者が、【イスラム国】の素晴らしさを訴えていたら、その存在が一気に身近なものに感じるだろう。

2015/02/06

イスラム国邦人人質事件 その1

イスラム国によって日本人2名が拘束され、日本政府に身代金が要求された事件は、人質の殺害という結末に終わった。
しかし、この事件の影響、日本人を取り巻く情勢の変化は、むしろこれからが本番と言える。
今回の事件をめぐり、報道番組などでは連日多くの知識人がそれぞれの意見を発しているが、極めてデリケートな問題だけに、それらはどうにも似通った結論に落ち着いてしまう傾向が見られる。
そこで私は一人の日本人として、今回の事件を振り返り、我々がそれをどう受け止め、どう今後に備えるべきか、自分の拙い解釈と考えを述べたいと思う。


2015/01/11

まとまりのない教育の話

小学校の時はトップクラスの成績だったのに、なぜか中学校に上がった途端に人並みになってしまった、なんて話は巷によくある。
かくいう私もまさにそのパターンだったのだが、では何故、こういった事が起こるのだろうか。
その理由は、小学校では単純に【IQ】が成績にそのまま結びついているのに対して、中学校以降ではIQよりも【学習の蓄積】が重要だからだと私は考える。
さらに、IQ値の出し方がそれぞれの年齢によって決まるように、成長期のIQ値はその時点での脳の【発達度】によって大きく左右される。