2014/07/28

Nepal-128: 迷い

シュレンドラは3年前、私がホステルを開いて最初に連れてきた二人の生徒の内の一人だ。
彼ともう一人の生徒・ビルはSG小学校を卒業した後、共にポカラの私立校へ進学した。
二人の性格は対照的だった。
シュレンドラは頭の回転が速く、好奇心も旺盛だが、若干気分にムラがある感じだ。
一方のビルは、地道にコツコツと積み上げるタイプで、瞬発力は無いが安定している。
総合成績はこれまでのところ、常にシュレンドラが上回っているが、最近はビルも数学などでシュレンドラを追い抜きつつある。
彼らが私立校に進学してからもう3年になるが、これまで二人は順調に学力を伸ばしてきていた。
しかし、このところ、シュレンドラに何やら異変が見られるようになってきたのである。
以前は約100人いる学年の中で15位くらいだったのが、ここ半年の間に25位くらいまで落ちてしまったのだ。
100
人中25位も決して悪い成績ではないが、これだけ急激に下がるとなると流石に放置しておけない。
それまで順調だったのが急に悪くなったのには、必ず何か理由があるはずだ。
それがどんなものなのかを一刻も早く見極め、手遅れになる前に適切なケアをする必要がある。

シュレンドラの成績下落の原因について、実は二つほど心当たりがあった。
その一つが、『欠席日数の多さ』だ。
前の学校でも指摘された事だが、シュレンドラはどうも欠席が多い。
「余程の事でもない限り、学校は休んではいけない」という感覚が、彼に限らず、村の子供たちには薄いように感じる。
一応、欠席にもそれなりの理由があり、決してサボっている訳では無いのだろうが、それでも奨学生としての真剣さが足りないように思う。
そんな訳で私も一度ならず厳しく注意し、また、その後は転校などもあり、欠席も減ったように見えた。
しかし、前回私が帰国した後、再び欠席の頻度が増してきたと聞いた。
なんでも最近は、朝起きた後に頭痛や腹痛を感じる事がよくあるらしい。

さて、体調不良とは言ったものの、この手の症状はいわゆる『不登校児童』によく見られるものでもある。
大抵の場合、朝にそういった症状を訴えるが、学校に欠席を伝えた途端、症状もすぐに治まったりする。
ただ、これは必ずしも仮病という訳ではなく、ストレスなどによる一過性の頭痛や胃腸不良が原因となっている場合も多い。
無意識に病気になることを望むうち、ちょっとした体調の変化に過敏になり、やがて自分が本当に病気だと思い込んでしまう場合もある。
仮にシュレンドラの体調不良が心因性のものだとするならば、問題の根源である『学校に行きたくない理由』を見つけ出し、それを解決しなければならない。
もちろん、本当に体に異状があるのかもしれないので、まずは医者に診てもらう事にする。
その一方で、彼の学校生活に何か問題があるのかどうか、私はシュレンドラ本人に尋ねてみた。

教師たちとの関係はどうか。
クラスメートとは仲良くやれているか。
学校に何か不満は無いか。
しかし、本人曰く、学校生活には特に問題は無いとの事だった。
転校生なのでイジメにでもあっているのではないかと勘ぐりもしたが、普通に親しい友人もいるようだ。
まぁ、ネパールでは頻繁に生徒の入れ替わりがあるので、日本のような変な群れ意識は無いのかもしれない。
特に本心を隠してるようにも見えないし、本人の言う通り、学校環境には問題は無いのかもしれない。
となると、問題はシュレンドラ本人にある事になる。

もう一つの心当たり――――それは『ケータイ』である。
日本と同じようにネパールでも皆、ケータイを持っている。
「最貧困国のくせに生意気だ」と思われるかもしれないが、インフラ整備が遅れているネパールの場合、電話線を張り巡らすより、電波塔を建てる方が安くて早くて現実的なのだろう。
また、絶え間ない技術革新によって、ケータイ端末も低価格・高機能化されてきており、もはや最貧困国の子供ですら中高生ともなれば自分のケータイを持ってて当たり前になりつつある。

余談ではあるが、海外ではケータイ端末がかなり安く買える。
もちろん、iPhoneなど一流メーカーの製品は日本で買うのと差は無いが、日本では売ってないような安い機種が海外の市場には溢れている。
ネパールでも最近はインド製のスマホなども出てきて、値段も4000円程度からと極めて安い。
ノキアの端末ですら、シンプルなものなら三千円未満で買えてしまう。
もちろん日本の一般的な機種に比べれば性能はかなり劣るが、中高年層には「別にそれでも構わない」という人は大勢いるだろう。
しかし、残念ながら『安くてそこそこの機能』という選択肢は、日本にはほとんど存在しない。
物価や人件費・輸送費といったコストが高い日本の場合、安いモノを売っても利益にならないからだ。
『儲けるために高いモノしか作らない、売らない』という企業の論理を優先させるため、メディアや広告で消費者心理を煽り、高いモノを高いと気付かないように買わされているのである。
言うなれば、「日本は優れている」と過剰に信じさせられ、外の見えない塀の中に囲われ、毛を刈られ続ける羊さんが大多数の日本人なのである。
そして、広大な外海に背を向け、世間知らずのゾウガメ相手にしか商売できないようなガラパゴス企業たちはこれからの時代、より激しさを増すであろう海外企業との生存競争に生き残る事は出来ないだろう。

話を戻そう。
シュレンドラがケータイを手に入れたのは、どうやら半年ほど前のようだ。
これは彼の成績が下がり始めた時期と一致する。
シュレンドラは、叔父からもらったというそのケータイをホステルに持ち込んで、音楽を聞いたり、ゲームやFacebookをしていたという。
一応、宿題やホステルでの役割など、最低限やるべき事はやっているようだが、ケータイを弄って夜更かししたりする事も多いらしい。
恐らく、それで生活のリズムが崩れて、寝不足になったりしているのだろう。

今やケータイは生活に欠かせないツールになっているが、それは同時に『ケータイ中毒』という新たな問題も生み出している。
電車の中を見渡せば、過半数の乗客がケータイの画面を見つめ、それぞれの世界に入り込んでいる。
多分、これからの時代、それが人間の常態になっていくのだろう。
巷にあふれる様々なコンテンツによって、脳が情報や刺激を受け続ける状態に慣れてしまい、それらに触れていないと落ち着かないのだ。
それがまるでメディアという道具に人類が逆に飲み込まれていくように私には感じられる。
習慣化した刺激や情報への欲求を意思の力でコントロールするのは、大人にとっても簡単ではない。
それが子供であれば、自分でコントロールするのはまず不可能だろう。
特にそれまで少ない娯楽の中で生きてきた子供にとって、ケータイによって得られようになった膨大な新しい刺激は、極めて高い中毒性を持っている。
このケータイが、シュレンドラの成績低下の大きな要因になっている可能性は高い。

こうして原因と思われるものにある程度目星がついた私は、シュレンドラのカウンセリングを行った。
まず、彼自身が自分の成績低下をどう思っているのか、訊いてみた。
もし本人が問題意識を持っていないのならば、そもそも何をしても無駄だからだ。
しかし、幸い彼も自分の成績低下を気にしないほどバカではなかった。
ならばと、原因と思われる事柄をひとつずつ話し合っていく。

まずは体調不良についてだ。
彼の訴える体調の異常は、不登校児童によく見られるそれと似通っていた。
あるいは、思春期の身体的な変化に対する不安から来るものかもしれない。
私は彼に、こういった問題はよくあるという事、あまり心配しなくてもいいという事を説明し、念の為、医者に診てもらう事で、まずは本人の不安を取り除いてやる。

次にケータイが彼自身の生活にどのような影響を及ぼしているか、それが成績低下の原因になっているのか、考えさせてみる。
彼はケータイを弄って夜更かししたり、決められた起床時間に起きられない事がよくある、と認めた。
ホステルでは年長なのだから、本来なら時間ピッタリに起きて、まだ寝ている下の子たちを起こさなければならないのに、自分が下の子たちに起こされて、それでも起きずに寝坊するなど言語道断である。
ケータイによって生活が乱れたり、勉強がおろそかになったりしないのなら、私は特に禁止はしない。
しかし、現状を見るに、彼はまだケータイの使用をコントロールする事ができていない。
自分自身とホステルにとって、今何をすべきなのかを考えさせ、どうするのか決めさせる。
多少の誘導はあったが、いずれにせよ、結論は一つしか無かった。
結局、シュレンドラはケータイを家に置いてくる事にしたようだ。

数日後、ホステルに母親が来て、シュレンドラを医者に連れて行った。
特に異状は見つからなかったが、一応、腹痛などの薬をいくつかもらって来ていた。
それ以降は、体調不良を訴える事も無くなり、本人曰く「薬が効いた」らしい。
「もっと早く医者に行っておけばよかった」とも言っていた。
やはり、本人も不安だったのだろう。
これでひとまず、『プチ不登校』の問題は解決したかに見える。
しかし、これでシュレンドラの抱える問題が根本的に解決したとは、私には思えなかった。

私は、今回の一連の出来事の奥底に、もっと深い根が横たわっているように感じた。
それは『目的意識の希薄さ』である。
いつからだろうか、以前のシュレンドラには無かった『迷い』が垣間見えるようになった。
以前は「科学者になりたい」と言っていたが、最近はそういった事を口にする事も無くなった。
進むべき道を見失っているようにも見受けられる。
自分の進む道に『迷い』を感じた時、人は弱くなる。
心が弱くなれば、不安感は体調不良として現れたりもする。
意志が萎えれば、目先の誘惑に負けてしまったりもする。
シュレンドラの抱える問題の本質は、そこにあるような気がする。

知識が増え、視野が広がるにつれ、それまで持っていた夢や展望を見直さなければならなくなる時は誰にでも来る。
思春期とはそういう時期だ。
しかし、自立しようとしている子供に対して周りの人間ができるのは、必要な助言を与え、見守る事だけである。
自分がこれからどうするかは、自分自身で考えて決めなければならない事なのだ。
シュレンドラがこれからどういった道を選択するのか。
あるいは、それによって彼がこのホステルに居る理由は無くなってしまうかもしれない。
もしそうなったとしても、それはそれで悪い事ではない。
果たして、彼はどう変わるのか、あるいは変わらないのか。
今しばらくは座して様子を見守っていこうと思う。

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