2015/01/11

まとまりのない教育の話

小学校の時はトップクラスの成績だったのに、なぜか中学校に上がった途端に人並みになってしまった、なんて話は巷によくある。
かくいう私もまさにそのパターンだったのだが、では何故、こういった事が起こるのだろうか。
その理由は、小学校では単純に【IQ】が成績にそのまま結びついているのに対して、中学校以降ではIQよりも【学習の蓄積】が重要だからだと私は考える。
さらに、IQ値の出し方がそれぞれの年齢によって決まるように、成長期のIQ値はその時点での脳の【発達度】によって大きく左右される。

沢山の子供を見ていれば分かるが、成長のスピードにはそれぞれ個人差がある。
時には実年齢より2歳も3歳も年上や年下に見える子もいるが、脳の発達度合いもこれと全く同じで、同じクラスでもそれぞれの子供の間に13年程度の目に見えない成長の差があると考えるのが自然だろう。
また、早生まれと遅生まれの間にも一年近くの差がある。
小学生くらいの子供が12歳年上の子と競争すれば、負けて当然だ。
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年の差は、それぐらい大きいのである。
だから、たとえ成績が悪かったからといって、親や教師は短絡的にその子の頭が悪いと決めつけるのではなく、まだ脳がそこまで発達していないだけだ、という前提で接しなければならない。
でないと、不用意に子供の自信を奪い、可能性の芽を摘んでしまう恐れがある。
逆に小学校での成績が良くても、その子がその後も同じペースで伸びていくと思い込むべきではない。

そもそも発達心理学の観点から言っても、年齢によって一律に教育内容を決めるのはナンセンスだ。
子供それぞれの成長速度に合わせて、学習する内容を決めるのが最も合理的なのだ。
しかし、日本の教育制度は未だそういった仕組みになっていない。
そのため、システムに合わなかった子供たちは不良品として分類され、結果、低学歴で社会に出ることを余儀なくされる可能性が高まる。
例えば、人口が右肩上がりに増加していた高度経済成長期ならば、そんなシステムでも社会は上手く回っていたのだろう。
たとえ学校で落ちこぼれて、低学歴のブルーカラー労働者となっても、景気が良い頃は十分な収入を得ることができていた。
しかし、少子高齢化に歯止めがかからず、今後も労働者人口がどんどん減っていくであろう現在において、『出来ない子は置いていく』という従来のやり方では、全体の生産力が落ちる一方である。
今、求められるのは、子ども一人一人の資質を最大限に引き出し、伸ばしてやる、という教育理念だ。
それには皆が【教育】に対する姿勢を根本から改める必要があるだろう。
正直、政府も教育者たちも教育というものを甘く考えているように思う。
彼らは【教育システム】という機械を作って、そこに子供たちを放り込み、出てきた量産品をそれぞれの品質に合わせて社会に振り分けてるだけだ。
そんな彼らにとって【教育の向上】なんてのは、その機械を改良することでしかない。
だが、どんなに良い機械を作ったところで、ただ、より精密な型に嵌めるだけのことで、質もサイズもバラバラな素材たちを【活かす】ことなんて出来やしない。
子供の個性を無視し、マニュアル的に一律な指導で教育を施すなんて、教育者の怠慢以外の何物でもない、と私は思う。
教育者は子供たち一人一人の個性に合わせ、その資質を最大限伸ばすにはどうすればいいか、それぞれ個別に考える必要がある。
教育とは本来、それくらい手間のかかるものなのだ。
もしその時間と人手の確保が難しいなら、国が十分な予算を投入し、それを解決しなければならない。
教育とは本来、それくらい金のかかるものなのだ。

子供一人一人と個別に向かい合ったならば、他の子との差は大して意味を持たなくなる。
正確には、「他の子と比べてどこどこが劣っている」という情報に意味がなくなる。
相対的に評価しないのだから当たり前だ。
子供たちを比較しないことで、それぞれの可能性を柔軟に考えることが出来るようになる。
そうして初めて個性を最大限に引き出しされた素材たちが作る、色どり豊かな社会が実現するのである。

ちなみに【個性】とは、一人一人の興味や関心、向き不向きであり、【個性を伸ばす】とは、それらが活かされるよう導くことを意味する。
何でも子供の好きなようにさせるのは個性の尊重ではなく、ただの教育の放棄なので、念の為。

最後にもうひとつ。
【失敗は成功の元】とよく言うが、同時に【成功は失敗の元】でもあることを忘れてはいけない。
大人たちの「出来て当然」という思い込みは、過度なプレッシャーとなって子供の精神を蝕み、やがて子供を【挫折から立ち直れない人間】か、【挫折を極端に恐れる人間】にしてしまう。
【期待すること】と【結果を要求すること】は、まるで違うのだ。
大人は子供に「自分には出来る」という自信、心理学で言う【自己効力感】を与え、期待をかけつつも、失敗は寛容に受け止める。
そうして子供は挫折を乗り越え、失敗を恐れず積極的に生きることを学習する。
そんな成功と失敗の体験を繰り返した結果、人は自分というモノの器を知り、本当の意味で【自分】になれるのである。

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