2020/09/08

日本社会と移民 ②

2. 移民社会の問題点

 日本が移民社会へとシフトしていくのは、もはや後戻りすることのない時代の流れだろう。今現在は新型コロナによる出入国規制によって、一時的に外国人の流入はほぼストップしているが、来年の東京オリンピックが開催される頃には全ての往来が解禁されていることだろう。少なくとも日本政府はそういうロードマップを想定しているはずだ。
 さて、『移民社会』と一口に言っても国によってその雰囲気はかなり異なる。受け皿となる元の社会がどんな文化を持っていて、そこにどんな文化圏から来た人間がどれくらいの割合で混ざるかによって、その移民社会の性質は決まる。日本も移民受け入れが既定路線となった今、考えるべきは「移民の是非」ではなく、もう一歩進んで「どのような移民社会をデザインするか」といったような先を見据えた計画だろう。
 移民流入による『賃金の低下』や『失業率の増加』といった経済的なリスクもあるが、多くの日本人が最も不安視しているのはむしろ、『文化の破壊』や『治安の悪化』といったより身近な問題だ。移民の群衆が道路を占拠してお祈りしたり、若者が犯罪を犯したり、あるいは過激思想に染まってテロリストになったりといった最悪のケースも、やがて対岸の火事ではなくなるかもしれない。そこまで行かなくても、移民が多数になった地域で、その土地古来の文化や風習が移民のもの中心になってしまうことは、保守的な日本人にとって感情的に受け入れ辛い。また、摩擦が強まれば、日本人の側からも移民=よそ者への反感や差別意識から、様々なトラブルを起こす者が出てくることは想像に難くない。
 移民流入による社会の変容をこれまで経験してこなかった日本人にとって、その急激な変化に対する抵抗感は極めて強い。だからこそ、『元々の国民気質や文化的価値観が日本人と近い国の人間をより多く移民として受け入れることで、文化摩擦のリスクを低減する』という発想も重要になってくる。例えば、日本社会との親和性に応じて、それぞれの国からの受け入れ数の上限に差を設けたり、在留資格の条件を緩和したりして、出身国別の比率をコントロールする。かつての欧米のような「来るもの拒まず」といった受け身の移民政策ではなく、既存の移民社会の問題点を分析して、同じ問題が起きないよう対策を取れることは、これから移民政策を本格化する日本にとって有利な点なのである。

 では、既存の移民社会にはどのような問題点があるのか。世界中の移民社会に共通している主要な問題として、さしあたり以下の5項目を挙げる。

・文化・思想・宗教的な摩擦
・言葉の壁
・経済格差
・治安の悪化
・移民の人口増加とそれに伴う行政への影響

 以降、これらの問題を分析しつつ、日本社会との相性を見ていく。

2020/05/01

COVID-19: トリアージ

 新型コロナの感染拡大を止めるため、今、世界中ほとんどの国で活動自粛が行われている。日本でも連日自粛の強化を呼びかける報道がなされ、社会全体が公私にかかわらずあらゆる活動を停止させようと動いている。未知のウイルスにより既存の社会システムが根底から揺らいでしまったことにより、人々は一種のパニック状態に陥ってしまっているのだ。
 しかし、現実的に言って、これほど広範囲に渡る活動自粛には限界がある。自粛を続ければ続けるほど、経済的なダメージが累進的に増大するからだ。経済が破綻すれば、医療崩壊とは比べ物にならないほどの死者が出る。だが、いまだ多くの人々はその現実に目を向けていない。コロナによる犠牲者を一人でも減らすため、その他の損害を度外視した政策が国民の圧倒的支持の下に進められている。
 日本の新型コロナ対策は数ヶ月以内に転換点を迎えるだろう。その兆候はすでに他の国々で表出している。ロックダウンに反対するデモが起きているアメリカや、感染抑制を放棄して早期の集団免疫獲得を目指すスウェーデン、あるいは単純に経済を優先させているブラジルなどがそうだ。
 多くの日本人はこういった動きを『愚行』と認識している。WHOや政府、そして専門家たちが疫学の観点から、「そんなやり方では多くの犠牲者が出る」と言っているからだ。しかし、「感染拡大を阻止する」という目的においては間違った選択だとしても、「国民の幸福」という目的においては正しい選択なのかもしれない。感染拡大を阻止して1万人の高齢者を救ったとしても、経済を崩壊させて1万人の労働者を自殺に追い込んでしまっては本末転倒だ。近視眼的な人権思想がより多くの人間を死なせることもあるのだと、我々は知っておかなければならない。
 いつだって国家の第一の目的は「国民の幸福」であり、全ての論理はその前提の下に展開されなければならない。だが、多くの人はこの二つを同一視してしまっているが故に、自粛が唯一絶対の解決策だと盲信し、要請に従わない人々を悪と決めつけ誹謗中傷しているのである。

 近頃よく耳にする『トリアージ』という言葉は、『選別』を意味するらしい。医者が助かる見込みがある患者を優先して治療し、そうでない患者は見殺しにする。そうしなければならないほど医療現場は逼迫している。
 そして、このトリアージはやがて医療現場だけに留まらず、社会全体に広がっていくだろう。誰の生活を優先的に守るのか。若者か、老人か。マジョリティか、マイノリティか。全ての国民の生命財産を保障できなくなった時、『大の虫を生かすために小の虫を殺す』という社会の原則、すなわち国家によるトリアージが発動することを我々は覚悟しておかなければならない。

2020/02/29

日本社会と移民 ①

移民政策

 超高齢化社会の時代に突入した今、日本は開国以来の大きな転換点に立たされている。それは『移民受け入れ拡大に踏み切るか否か』という選択である。政府は移民に対する日本国民の不安や反感を考慮し、公には移民政策とは表現していないが、事実上の移民政策はすでに始まっている。『技能実習生』やその短縮版とも言える在留資格『特定技能』の新設がそれである。

 移民受け入れ拡大の是非については国内でも大きく意見が割れている。元来、移民政策は経済の活性化には繋がるものの、それと引き換えに社会構造そのものを大なり小なり変容させてしまうリスクを持った諸刃の剣だ。だから、そういった変化に対する不安や恐怖は、移民社会の宿命なのである。特に日本人は極東の島国に住む単一民族であるが故に、歴史的に常に世界からある程度の距離感を持ち続けてきた。そのため、平均的日本人の外国人に対する耐性は、世界的に見ても極めて低い水準にある。そんな人々の群れの中に突如知らない言葉を話す全く顔つきの異なる異国の人間が現れ、それがどんどん増えていくのだ。移民流入とそれに伴う日本社会の変容への不安感はむしろ恐怖とさえ呼べるだろう。
 このまま移民が増え続ければ、そう遠くない将来、日本社会全体が移民に対して猛烈なアレルギー反応を示すようになることは想像に難くない。最悪の場合、日本人のコミュニティと在日外国人のコミュニティがお互いに対して排他的になり、日本社会が分断される可能性もある。移民の受け入れはそういった底の見えないリスクを内包しているのである。