移民政策
超高齢化社会の時代に突入した今、日本は開国以来の大きな転換点に立たされている。それは『移民受け入れ拡大に踏み切るか否か』という選択である。政府は移民に対する日本国民の不安や反感を考慮し、公には移民政策とは表現していないが、事実上の移民政策はすでに始まっている。『技能実習生』やその短縮版とも言える在留資格『特定技能』の新設がそれである。
移民受け入れ拡大の是非については国内でも大きく意見が割れている。元来、移民政策は経済の活性化には繋がるものの、それと引き換えに社会構造そのものを大なり小なり変容させてしまうリスクを持った諸刃の剣だ。だから、そういった変化に対する不安や恐怖は、移民社会の宿命なのである。特に日本人は極東の島国に住む単一民族であるが故に、歴史的に常に世界からある程度の距離感を持ち続けてきた。そのため、平均的日本人の外国人に対する耐性は、世界的に見ても極めて低い水準にある。そんな人々の群れの中に突如知らない言葉を話す全く顔つきの異なる異国の人間が現れ、それがどんどん増えていくのだ。移民流入とそれに伴う日本社会の変容への不安感はむしろ恐怖とさえ呼べるだろう。
このまま移民が増え続ければ、そう遠くない将来、日本社会全体が移民に対して猛烈なアレルギー反応を示すようになることは想像に難くない。最悪の場合、日本人のコミュニティと在日外国人のコミュニティがお互いに対して排他的になり、日本社会が分断される可能性もある。移民の受け入れはそういった底の見えないリスクを内包しているのである。
では、「そもそも移民を受け入れなければいい」という意見はどうか。人口が減少しても人手不足になって賃金は上昇するからむしろ生活は豊かになる、と言う人々もいる。日本と国土面積もほぼ同じなのに人口は日本の⅔しかいないドイツを引き合いに出し、日本の人口はむしろもっと減るべきだと言う意見もある。これらの意見には一理あるが、その副作用については考えが及んでいないように思える。
人手不足によって人件費が高騰すれば、経営破綻する企業が増えるだろう。給料がアップする人々がいる一方で、倒産や失業によって収入がゼロになる人々も多く生まれる。人手不足だから次の仕事はすぐ見つかるとしても、雇用形態の大部分が非正規になるだろう。また、人件費が高くなれば物価が上昇し、品物やサービスの質は低下する。結局は一般市民の生活に負担のツケが回ってくることになる。
日本経済は戦後の人口爆発によって急激な成長を遂げたが、それと同時に社会の器を広げ過ぎてしまったのではないだろうか。肥大した社会の隅々まで高いレベルのインフラを整備し、以来、ずっとそれを維持し続けている。企業であれば不採算事業からは撤退できるが、行政にはそれができない。地方から人口流出が続き、都市部以外の多くの地域が限界集落化しつつあっても、僅かな住民が残っている限り、既存のインフラや行政サービスを維持しなければならない。日本全国を合わせたら、一体どれほどの予算が高度経済成長期の無計画な拡大主義の後始末に費やされているのだろうか。
長期的に見れば、日本社会はむしろ縮小した方が豊かで安定するように思われる。しかし、地方は高齢者の割合が高く、また、高齢化社会の民主主義国家において高齢者の政治に与える影響力は極めて大きい。従って、地方への支援を縮小したり、都市部への移住を促したりといった抜本的な解決策は、現状、限りなく不可能に近い。そこで日本政府が考えた苦肉の策が外国人労働者の受け入れである。
日本政府が外国人労働者を取り入れようとしているのは、決して永住者を受け入れようというのではなく、「あくまでもゲストワーカーとして」である。例えるなら経営が芳しくない会社が正社員の代わりに、いつでもクビを切れる派遣社員を使うようなものだ。いびつに歪んだ日本の人口ピラミッドの欠けた部分を外国人労働者で穴埋めし、やがて高齢者が寿命を迎えピラミッドが健全な形に回復したら出て行ってもらう。外国人の在留資格や永住権取得の条件などを見ると、ずっと居付かれないようにある程度の期間が過ぎたら日本に居辛くなるような制度を意図的に設計していることが推察できる。
そんな身勝手な思惑が成功するか否かは誰にも分からないが、私の予想では恐らく失敗する。日本社会に外国人が浸透すればするほど彼らへの依存度は深まっていくから、不便な在留条件はむしろ雇用する側の日本企業にとって足枷となる。結果、経団連などの働きかけによって、徐々に条件が緩和されていくと思われる。
仮に成功したとしても日本がかつて持っていた技術的優位性や国際競争力が戻る見込みはない。なぜなら、日本の国際競争力の低下は人手不足ではなく、革新が起きない企業風土や前時代的な教育制度に原因があるからだ。天然資源に乏しいこの国が豊かであり続けるためには、技術力・生産力において世界と競争し続けなければならない。そのためには優秀かつ創造性豊かな人材が必要だが、前述の理由等により日本国内からそれが出てくることはもはや期待できなくなっている。だからこそ海外から有能な人材を引き入れて、その異なる価値観や思考・アイデアなどに接することで、新しい魅力的な製品やサービスを生み出せるように日本の産業環境を変革するしかない。それが外国人を日本社会に取り入れる最大の目的であるべきなのだ。
だが現実として、世界中から引く手数多の高い能力を持った人材にとって、日本で働くことはすでにそれほど魅力的な選択肢では無くなりつつある。言葉の問題に始まり、企業の将来性や雇用条件、在留資格の制限や社会の閉鎖性など、様々なマイナスの要素が日本社会にはあり、多くの選択肢を持った有能な人材ほど日本に見切りをつけ、他所の国に行ってしまう可能性が高くなる。それを阻止するためには高度な知識・技術や才能を持った人々が「日本に行きたい、日本で成功したい」と思えるような好条件を官民双方が提示出来なければならない。さもなくば数十年後、日本に残っているのは単純労働くらいしかできない「安かろう悪かろう」な外国人ばかりになるだろう。それこそが日本人が一番恐れている移民政策の失敗例である。そうならないためには、日本はもう今までのような閉鎖的な社会であり続けることを諦めなければならない。
移民政策は非常にセンシティブな議題である。だからこそ、不安や恐怖といった感情によって安易な結論に飛びつかないよう、我々一人一人が慎重に根気強く考える必要がある。そして、「どれくらいの利益を得るため、どの程度までのリスクを受け入れる必要があるか」を現実的に判断しなければならないのである。
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