2013/06/28

Nepal-114: 変化

20133月。
私が村から出てきた生徒たちのために小さなホステル(寮)を作ってから、もう一年半になる。
一昨年からポカラの大手私立校・KH学園に通っているビルとシュレンドラ、そして、去年仲間入りしたスリジャナと彼らの世話役のサビナも、このホステルでの生活にすっかり慣れたようだ。
しかし、慣れるのは必ずしも良い事ばかりではない。
今までとはまるで異なる「恵まれた」生活環境は、生徒自身の心境にも変化を及ぼす。
そして、それは時として、援助活動自体を無意味にしてしまう危険性をも孕んでいる。
今日はそんなあまり知られていない『援助の弊害』について、ホステルの出来事を交えて書いてみる。


さて、数カ月ぶりにポカラへ戻った私は、ホステルや生徒たちの変化を注意深く観察した。
そこからはいくつかの問題が浮かび上がってきた。

1.       物が散らかっている。
2.       掃除が行き届いていない。
3.       水の使い方が荒い。
4.       備品がいくつも壊れている。
5.       電話代が高い。
6.       欠席日数が多くなっている。

これらの一つ一つは、一見すると大した事のない問題に思えるかもしれない。
確かに同じような問題はどこの家庭にもあるだろうし、私も子供に対して完璧を要求するつもりは無い。
だが、これらの問題には同じ根っこが存在している。
それは今後、より深刻な問題を生じさせかねないものだ。
その問題の根は、彼ら一人一人の『意識の変化』である。

物が散らかっていたり、掃除が行き届いていないのは、生徒たち自身が「ホステルを最適な状態に保つ責任」をきちんと認識していないからだ。
彼らはホステルで長く生活しているうちに、段々とそこが自分の家のような感覚になってきているのだろう。
自分の家ならば自分がやらなくても、誰かが掃除も洗い物もやってくれる。
それと同じ感覚で、無意識に自分たちのやるべき事から目を逸らしているのだ。

しかし、ホステルは彼らの家ではない。
私のホステルは言わば、生徒たちがより良い未来を目指して自分を向上させるための『修行場』のようなものだ。
そこで寝泊まりする彼らは、他人様の家に「住まわせてもらっている」という立場に他ならない。
こういった根本的な事をきちんと自覚していれば、このような問題など起こるはずがない。

物を大事にしないのも、「壊れたらまた買ってもらえばいい」と安易に考えている部分があるからだ。
水や電気を節約しないのも、ホステルにかかる費用が自分には関わりのない「他人事」だと考えているからだ。
電話代などに至っては―――これは主にサビナの長電話が原因だが―――、それこそ村人の平均月収の半分にあたる金額を、毎月無駄に浪費してくれている。
だが、そんな自分の家では決してやらないような事、やれば親にどやされるだけでは済まないような事を、ホステルだとやってしまう。
これは生徒たちが、私と自分を「援助者」と「被援助者」という両極の立場に置いている事を表している。
これでは互いの立場を理解し合って、協力・協調する事など出来るはずがない。

援助の効果は、援助者と被援助者との協力関係によって決まる。
両者はたとえ立場が違っても、目標とするものは本来同じもののはずだ。(もしそれが名目だけの援助でないなら)
ならば、援助者と被援助者は「同じサイド」に立ち、「同じ視点」を共有しなくてはならない。
この原則を守っていない援助活動は、遅かれ早かれ空中分解することだろう。
実際、そうなってしまった、或いはそうなりつつある団体・組織がネパールには山ほどある。
私のホステルを―――私の生徒たちを―――そんなふうにしないためにも、この致命的な『勘違い』は即座に正さなくてはならない。


もう一つの変化は、『慣れ』である。
人間はどんな環境にも慣れていく。
はたから見て物凄く不幸な境遇であっても、本人にしてみれば大抵「それが普通」という感覚だ。(私自身も恐らく世の99%の男性が「絶対にそうなりたくない」と思うような状況にいるが、特に絶望感も悲壮感も無い)
これは逆もまた然りで、以前と比べて飛躍的に恵まれた環境に移っても、しばらくすればそれが当たり前の感覚になり、ありがたみを感じなくなる。
生徒たちは村にいた頃、ポカラの私立校に通うなどまるで夢のように遠い話だと考えていた。
だが、それが現実のものとなり時間が経つにしたがって、かつての気持ちを忘れていってしまう。
その結果が6つ目の「欠席日数の多さ」に表れている。

この出席日数の低下については、部分的にやむを得ない面もある。
その理由の一つは、「水不足」である。
昨年、土砂崩れによってパイプラインが流されるという出来事があり、それによってポカラ全域が深刻な水不足に陥った。
通常ですら週に一、二回しか水が来ないのに、この事故によって丸一週間水が来ないという事も珍しくなくなった。
以前にも書いたが、水が無いのは電気が無い事よりもはるかに深刻――――というか、水が無ければ生活ができない。
そこで生徒たちはやむを得ず村に帰った、という事もあった。
しかし、それを差し引いても欠席日数はかなり多かった。
ちょっとの体調不良やストライキ情報の錯綜、または、週末に村に帰っていて戻ってこれないなど、意識のたるみとしか思えない理由が目立つ。

私は彼らに「学校に行け」なんてバカな事は言わない。
無理やり行かせたって、意味が無いからだ。
行きたくなければ行かなければいい。
ただし、その時点で援助は打ち切り、彼らはもと居た村に帰る。
彼らはもう一度、思い出してみなければならない。
自分たちが村にいた頃、どれほど良い学校に行きたかったか。
どれほど今の環境を夢見ていたか。

私の言葉が彼らにどれだけ届いたかは分からない。
ただ、これで彼らも自分の勘違いに気付いてくれたと思う。
「信じる」という言葉は好きではないが、まぁ、それでも今まで見てきた自分の生徒たちに対する信頼はそこそこある。
多分、大丈夫だろう。


「生きること」とは「変わること」だ。

しかし、決して変わらない―――変えない部分を持つことも、より良い人生を歩くためには必要なのだ。
初心、忘るるべからず。

0 件のコメント:

コメントを投稿