2015/02/16

イスラム国邦人人質事件 その2

さて、他の過激派組織と比べてもぶっちぎりで頭悪そうなこの【イスラム国】と名乗る集団は、何故これほど急速に勢力を拡大することが出来たのだろうか。
その理由は、大きく2つ挙げられると思う。

まず一つは、彼らの現代的なメディア戦略だ。
報じられている通り、【イスラム国】には数多くの外国人が参加している。(※米当局の発表では2万人超)
イラク・シリア周辺のイスラム諸国からの参加者が最も多いが、イスラム系移民の多いヨーロッパからもかなりの数が参加しているという。
彼らは移民ではあるが、ヨーロッパで生まれ育った2世や3世たちなので、知識や技能は我々と変わらない。
その知識や技能が【イスラム国】の宣伝活動に活用され、ネットを通して世界中の人間にダイレクトにメッセージを発信することが出来たのである。
それも英語・フランス語・ドイツ語といった、彼らが教育を受けた国の言葉で、である。
これが非常に大きかったと私は考えている。
【イスラム国】のプロパガンダ映像の中で、自分たちと同じ言葉を話す、自分たちと同じような年代の若者が、【イスラム国】の素晴らしさを訴えていたら、その存在が一気に身近なものに感じるだろう。


将来に対する閉塞感を抱える若者は、大抵どこかで【現実からの離脱】を望んでいるものだ。
『ここではない、どこか』で、今までとは全く違う生き方がしたい、と思っている。
そんな者たちにとって【イスラム国】は、その『どこか』に見えたのではないだろうか。
これが【イスラム国】の勢力拡大を可能にした【戦闘員の急増】のカラクリである、と考える。
だが、いくら戦闘員を増やし、支配地域を広げようと、基本的に「ヒャッハー!!」するしか能のない彼らが、国家運営のような建設的かつ繊細な活動ができるとは考えにくい。
にもかかわらず、一部の報道によると、【イスラム国】は支配地域で社会システムの構築やインフラ整備を進め、大雑把ながら国家としての体裁を整えているという。
それを可能にしたのは、かつてイラクを統治していた旧フセイン政権の残党だ、と言われている。
国家運営のノウハウを持った彼らが参加し、【イスラム国】の組織運営を担っているのだ。
これが【イスラム国】躍進のもう一つの理由である。
原油密売で莫大な収益を上げ、現代技術を駆使した宣伝活動を行い、世界中の馬鹿に参加や協力を呼びかけ、戦闘によって支配地域を拡大し、社会システムを構築する―――
そこにアメリカ軍のイラク撤退やシリア内戦の激化といった外的要因も相まって、【イスラム国】は驚くほどの勢いで組織を肥大化させることに成功したのである。

しかし、その勢いにも、もう既に陰りが見え始めている。
有志連合による空爆で施設が破壊され、原油が採れなくなったのが最も大きな要因だろう。
元々、他に大きな収入源がある訳でもないので、そこを止められれば枯渇するのは当然の結果だ。
どうやら戦闘員への給与の支払いにも支障が出始めてるらしいので、離脱者も今後は増えていくだろう。
結局のところ、彼らの多くは【気分】に従って行動しているだけなので、辛くなれば【思想】など簡単に投げ出す。
ちょうど元の生活を投げ出して来たように。
所詮、一つの意思でまとまった【組織】ではなく、似通った者が集まった【集団】でしかないのだ。
それも有能な人間ではなく、ダメ人間の集団だ。
彼らがまともな人間だったなら、たとえ移民の生まれでも、元の社会に自分の居場所が作れていただろう。
【イスラム国】がそんなダメ人間たちの受け皿になったところで、彼らが真人間に変わるわけではない。
旧イラクの残党がいくら有能でも、経済的に余裕が無くなっていく中、そんな連中をいつまでもコントロールし続けながら国家を運営するなんて事は、まず不可能である。
このまま資金源を絶ち、空爆を続けていれば、【イスラム国】が内部崩壊を起こして自滅するのは時間の問題だろう。

ただ、懸念されるのは、その課程で最も被害を被るのは支配地域の一般住民だろう、という事だ。
【イスラム国】は現在も住民から税の徴収を行っているが、今後はより厳しい取り立てが予想される。
生活物資や食料の不足も当然起こるだろうし、最悪の場合、飢餓で弱い者から順に死んでいく可能性もある。
住民もやがて【イスラム国】に反発するようになるが、逆ギレした【イスラム国】に虐殺される―――その辺りまで容易に想像できる。
最終的に【イスラム国】はバラバラになり、主要メンバーや一部の熱心な戦闘員たちは、小さな組織となって細々とゲリラ活動を続けていくだろう。
問題は、それ以外の戦闘員たちがどうするか、ということである。
おそらく、彼らの多くは帰国を考えるだろう。
そんな彼らをどう扱うかが、今後の国際社会の課題となる。
特にヨーロッパから参加している戦闘員に関しては、国籍剥奪して帰国拒否するのか、帰国を受け入れた上で裁判にかけるのか、難しい判断となるだろう。
だが、そこで国際社会が正しい決断を下さなければ、『テロとの戦い』に勝ったことにはならない。
過激派組織を空爆したり、テロを未然に防ぐことは、あくまでも対症療法に過ぎないからだ。
過激主義者たちとどう向き合い、過激思想に走る人間をいかに減らすかが、『テロとの戦い』のメインテーマなのである。

【イスラム国】の台頭はこれまでのテロリズムとは異なり、極めて現代的な問題であると言える。
ハッキリ言って、この問題の本質は【宗教】でも【思想】でもない。
そもそも、どんな過激な思想や宗教であれ、それそのものに善悪は無い。
世間一般では、イスラム原理主義が諸悪の根源のように考える風潮があるが、私はそうは思わない。
見方が変われば、善悪も正誤も変わるからだ。
そして、何を信じ、何を主張するかは、人それぞれの自由だ。
それが【表現の自由】であり、異なる考え方を否定することは全て、【表現の自由】の侵害に他ならない。
極論を言えば、【イスラム国】や【ボコ・ハラム】等の主張を否定することも、シャルリー・エブド襲撃と同様に、【表現の自由】に対する攻撃なのである。
とは言え、私は別に「異なる主義主張を全て受け入れろ」と言っているワケではない。
私とて、彼らの論理が間違っていると思っているし、どこが間違っているか指摘することも出来る。
ただ、それはあくまでも、私の理想とする世界の実現において間違った論理である、というだけであって、彼らの理想とする世界では正しいのかもしれない。
大切なのは、異なる意見を持った相手を自分の意見に従わせようとするべきではない、という事である。
結果的に相手の考えが変わらなくても、とりあえず相手の間違っていると思われる部分を指摘してみる―――というスタンスであるべきだ。
これは【否定】ではなく、【対話】の一部なのである。

【否定】すべき時―――それは自らの信条に酔って、他者を害するようになった時だ。
人種差別主義者だろうが悪魔崇拝者だろうがサイコパスだろうが、他人に迷惑さえかけなければ問題ない。
実際、思想的・人格的に問題があっても、社会に害を及ぼす事無く生きている人間は大勢いる。
では、彼らとテロリストの違いは何か。
思想的・人格的に問題がある人間が破壊者となるには、もう一つ重要な要素がある。
私なりに表現するなら、それは何かしらの『絶望』である。

基本的に、ある程度充実した実生活を送っている人間が過激思想に走ることはない、と私は考えている。
たとえ倫理的なブレーキがかからなくても、今の生活を大切に思っていれば、それがブレーキになって破壊的な行動を抑止するからだ。
逆に言えば、一線を越えてしまうのは、捨てても惜しくない程度の生活しか送っていない者だけと言える。
今回のケースでは、経済格差や人種差別・宗教差別などから生まれた『絶望』が水のように形を変え、イスラム教原理主義という『器』に吸収されて、【イスラム国】というモンスターが生まれた。
ならば、『絶望』が生まれないように、その素となる格差や差別を是正していこう―――と、結論づける者も多いだろう。
しかし、それでは何も変わらないだろう。
全く努力して来なかった者が、努力して成功した者を見て、「不公平だ」と怒るのが【人間】という生き物なのである。
『絶望』が生まれない世界など存在しないのだ。
では、どうすべきなのか。
その答えは【教育】にあるのでは、と私は考えている。

過激思想や宗教にハマる最大の要因は、『自分を客観視できないこと』にあると思う。
客観視できないのは、単純に知識が乏しかったり、多元的に考える習慣が無かったりで、視野が狭いからだ。
偏見かも知れないが、多くのテロリストが主に発展途上国(教育後進国)や一神教の盛んな国で生まれているのは、この為だと思う。
そこで、初歩的な行動心理学の授業を小学校から取り入れ、自分の中の『負の感情』を客観的に理解させる訓練を子供のうちからさせるのである。
その上で、『過激思想に至る人間の心理』を解説し、その本質が思想でも宗教でもなく『精神的な未熟さ・弱さ』である、という認識を広く一般に浸透させる事ができれば、安易に洗脳される人間は減るだろう。
宗教だろうが思想だろうが、過激主義に至る心理的メカニズムが同じならば、この手法であらゆる思想的な暴走を抑止できるはずだ。
それを別にしても、自らの内面を客観視するというのは、人間が幸福に生きる上で最も必須のスキルなのである。


【イスラム国】と世界の今後に対する提言は、以上である。

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