2015年9月20日午後5時―――およそ7年もの『産みの苦しみ』を経て、ようやくネパールの新憲法が発布された。
首都カトマンズでは花火が上がり、私が滞在するポカラでもあちらこちらでキャンドルが灯され、人々が新しいネパールの誕生を祝っていた。
憲法の制定までに7年もの時間を要したのは、単純に言って、大小様々な政党や民族・宗教団体などが自分たちの利益や権力のため、それぞれ自分勝手な主張を叫び続けた結果である。
7年前、国軍とマオイスト(毛派共産主義政党)との内戦終結後、新憲法を作るメンバーを決める制憲議会選挙が行われたが、結局、その2年の任期内で意見をまとめる事が出来ず、解散となった。その後、改めて制憲議会メンバーの選挙が行われたが、相変わらず話し合いは不毛な平行線のまま、さらに5年が無駄に費やされた。
憲法とは、国家が国家としてあらゆる活動する際の指針となるものである。国を一人の人間に喩えるなら、憲法は『人格』に相当するものだ、と私は生徒たちに説明した。今のネパールは言うなれば『意識不明』でありながら、手足がそれぞれ好き勝手にバタバタ動いてるような状況だ、と。
『憲法が無い』というのが、果たして国家としてどれほど惨めで無様な状況なのか、しかし、人々の多くは具体的に理解してはいなかった。憲法が無い状況をこれほど長引かせたネパール人を、世界がどのような目で見ているか、彼らにはまるで想像出来なかった。だから、実際の所、ほとんどの人間はこの状況を深刻に捉えてはいなかった。政治的空白と停滞はいつもの事だからだ。それに加えて、これまで政府主導による発展らしい発展を経験していない『後発発展途上国=成長ゼロの底辺国』だからという側面もあるだろう。
そんな状況を一変させたのが、今年4月と5月に発生した大地震である。地震など滅多に起こらない『世界の屋根』でおよそ80年ぶりに起こった大地震は、耐震性などとは無縁の建物を軒並み破壊し、特に人口の密集した首都カトマンズや地方都市などで多くの死傷者を出した。‥‥とは言っても、地震は自然災害でなので誰の責任でも無い。しかし、その後の政府の対応が、ネパールという国のダメさ加減を存分に露呈してくれた。
地震直後から世界各国は救助隊や救援物資などをネパールに送ったが、ネパール政府にはそれらを捌く事がまるで出来なかった。さらに、ネパールの国際空港は首都カトマンズにしかなく、しかも国際線の滑走路が一本しか無いため、カトマンズ上空まで来た飛行機が着陸できずにタイやUAEの空港に引き返す、という醜態も晒した。
さらに、世界各国が送った緊急救援物資が、何故かすぐさま被災地に送られず、何週間もカトマンズの空港に放置されていた。政府がそれをどのように被災地に送るか決めるのに手間取ったからだ。災害直後の一刻を争う状況にもかかわらず、この暢気さである。
極め付けは、大勢の人間が生き埋めになってるのに、各国の救助隊を被災地に迅速に振り分ける事が出来ず、挙げ句の果てに、「もう人員は必要無い」と宣言して、人的な支援を拒絶してしまった。そんな状況で2度目の大地震が発生した。最早、コントのレベルである。
ハッキリ言って、ネパール政府は無視して、自衛隊なりアメリカ軍なりが指揮をとって勝手に救助活動していれば、もっと多くの被災者を救えたはずだ。(国際法上、不可能だが)
そんな救いようも無く無能で無責任な政府や役人たちに対して民衆は怒り、カトマンズなどでは大規模なデモが行われた。また、支援をしている世界各国も呆れ果て、ネパール政府にかなり厳しく迫った事は想像に難くない。そうして国内外の目が厳しくなった事が、憲法の草案作りを急がせるプレッシャーに繋がったと思われる。
皮肉にも震災のおかげでまとまったとも言える憲法案だが、その終盤の追い込み加減も特筆に値する。
この憲法案には308の条文があるが、2007年の最初の制憲議会選挙から今年9月13までに採決されたのは、たったの3条だった。それが翌14日には、一気に第42条まで採決された。これだけでも「オイオイ」と言いたくなるが、さらに翌日・翌々日はブッ飛んで、15日は第176条まで、16日は最後の第308条まで一気に決めてしまった。7年決められなかったものを、実質3日間で決めてしまったのだ。そして、ほとんど日を置かず、20日にはもう発布である。「どうやれば一日で120もの採決が取れるのか」とか、「途中から絶対適当に決めただろ」とか、「もっと前にやっとけ」とか、いろいろ突っ込みどころを残しつつも、兎にも角にも、こうしてネパールの新憲法は施行された。
どんな形にせよ、国の在り方が固まったのは喜ばしい事だ。例えどんなに歩みが遅くとも、止まっているのと進んでいるのは、決定的に違う。これまで『発展』という言葉と無縁だったネパールに、ようやく希望(っぽいモノ)が見え始めたのである。しかし、この希望も今はまだ、生まれたばかりの赤ん坊のようなものだ。皆で大切に守り育てていかなければ、すぐに死んでしまうほど弱々しいものだ。ネパールの人々にとっては、むしろこれからが正念場なのだ。
‥‥‥‥が、どうやら早くも大きな試練が訪れたようである。
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