ネパール新憲法が発布されて、一ヶ月―――ネパール~インド国境周辺の混乱は未だ解決の気配を見せる事なく、ガソリンやプロパンガスの欠乏も極限状況に近づいている。そんな中、ネパールは最大の祭りである【ダサイン】と【ティハール】の季節を迎えている。日本で言うところの「盆と正月」みたいなものだが、カトマンズなどの都市部では、地方に帰省する人々が本数の激減したバスの空席を巡って、大混乱に陥っているという。
燃料危機の煽りを受けているのは一般市民だけではない。外国人旅行者にとっても気候も穏やかで晴天が続く今は時期は、本来であればトレッキングのベストシーズンである。だが、現在進行中の燃料危機によって、最大の書き入れ時にもかかわらず、旅行者数は震災直後の最悪の水準にまで逆戻りしている。また、カトマンズ空港に乗り入れている中国の国際線も、燃料不足の影響で一時的に運行を停止している。このままの状態が続けば、やがてそれは他の航空会社にも波及するかもしれない。
ネパール政府はインド政府と引き続き対話を続けており、解決の糸口を探ってはいるようだが、実際どこまで本気なのかは分からない。ネパールのニュースや新聞の情報もまとまりが無く、どれが本当なのか分からない。ならば、BBCやアルジャジーラなど海外の主要メディアはどうかというと、今はヨーロッパの難民問題やパレスチナ紛争で忙しく、最貧国ネパールには誰も関心を持っていない。そんな訳で、ほとんどのネパール人同様、私自身も今現在の状況を正確に把握できていないのである。
だが、一つ明らかなのは、多くのネパール人が今の状況の責任は全てインドにある、と考えている事だ。私が調べた限りでは、物資の輸送を妨害しているのはネパール側のマデシ系住民で、物資を積んだトラックは国境のインド側でずっと待機している状況のようだが、それでもネパール人の間では反インド感情が燃え上がっている。
先月、ネパール新憲法が発布され、インドとの国境が閉鎖された直後の時点では、ほとんどのネパール人が事態を【いつものストライキ】としか認識しておらず、「そのうち解決するだろう」と楽観的に考えていた。それが2週間経ち、3週間経ち、車やバイクのタンクが空になって、料理用のプロパンガスが底をつきかけても、一向に解決の目処が立たない状況を見て、ようやく事態の深刻さを理解しはじめた。だが、ネパールの世論に、「マデシに譲歩すべし」という論調は見られない。曲がりなりにも正当なプロセスで決まった憲法を、一部の民族の反対で変更するなど法治国家としてあってはならない、というのはもっともな理屈だが、実際の国民感情は少し違うところにあるようだ。
元々、大多数のネパール人にとって、マデシをはじめとしたネパール南部の住民は【インドからの移民】であり、彼らに向けられる視線には少なからず差別的感情が含まれている。そこには、移民たちに南部の肥沃な平野部を奪われた、というある種の被害者意識も混じっているようだ。その為、マデシたちがさらに政治的影響力を持つ事に対して、強い不快感と警戒心を持っているのだ。これらの傾向は、カトマンズの権力者やハイ・カーストの人間に特に強い。国全体が機能停止しかけているのに政府が譲歩せず、人々もそれを支持している理由は、まさにそこにある。
今、ネパールでは大人も子供も皆、インドを非難している。実際、封鎖されているのは国境のネパール側で、インドの軍も警察も関与していないにもかかわらず、である。私はずっとそれを不思議に思っていたが、最近ようやく自分の認識のズレに気が付いた。要するに、その他のネパール人にとって南部のインド系移民は、ネパール国籍は持っていても「ネパール人ではなく、インド人」という認識なのである。
そんな反インド感情の高まりと並行して、もう一つの隣国【中国】に対する期待の声が急速に広がり始めている。それは今回の騒動が持ち上がってすぐ、中国がネパールへの燃料の提供を申し出たからである。
繰り返しになるが、ネパールの国土は躍進する二つの大国【インドと中国】に挟み込まれている。海が無く、平地が少なく、資源にも乏しいため、これまで衣食住の大部分を主にインドからの輸入に頼ってきた。しかし、近年は衣料品や家電製品を中心に、中国からの輸入量が急増してきており、それと呼応するように、ネパールを訪れる中国人旅行者やビジネスマンの数もまた増加していた。勢力圏を広げたい中国政府も言うに及ばず、ネパール支援に積極的な姿勢を見せており、ネパールと中国の経済的・政治的な結び付きは日々強まってきている。そこに来て、今回のインド・ネパール間の摩擦は、そこに割って入る機会を伺っていた中国にとって、待ちに待った絶好のチャンスなのである。
この下心見え見えの申し出に、ネパールのメディアはこぞって飛びついた。夏場のハゼのようなその見事な食いつきっぷりは、まるで背後で中国共産党の工作員が扇動しているかのようだ。しかし、基本的に危機意識の低いネパールの人々は当初、そこまで事態を深刻に捉えていなかったので、中国の申し出にもそれほど関心を払わなかった。だが、刻一刻と状況が悪化し、インドへの反発心が強まるに従って、「インドからの中国に乗り換えるべし」という論調が、SNSなどを介して無視出来ないほどに広がってきている。
彼らの論理は、「インドがガソリンくんないなら中国にもらうもん」という、極めて単純なものだ。その結果、インドとの関係がどんな事になるか、その先にどんな未来が待っているか、ほとんどのネパール人は一片もイメージ出来ないようだ。その選択が、ネパールという国の在り方を180度変えてしまうほど重大な意味を持っていると、彼らは理解していないのである。
インドとネパールとの関係は、極めて長い歴史を持っている。それはまだ、二つの国が今のような形にまとまるずっと以前から続いてきた。世界で唯一、ヒンドゥー教が主流となっているこの二つの国は、言語も文化も似通った兄弟のような間柄である。しかし、広大で肥沃な国土を持つインドと、国土の大部分が山岳地帯のネパールでは、その国力に大きな開きがあった。その差はインドの近代化によって決定的となり、今では【準先進国と隣の最貧困国】といった形ではっきりと明暗が分かれている。結果、ネパールは名目上は独立国でありながら、インドにあらゆる面で依存し、半ば寄生するようにして何とか存続しているのである。それが最も分かりやすく表れているのが、ネパールの通貨だ。ネパールの通貨【ネパール・ルピー】は、【インド・ルピー】との交換レートが完全に固定されており、実質的には【インド・ルピーの引換券】のような存在である。その為、為替市場における価値は無に等しく、ネパール・ルピーを外国で両替しようとしても拒否される。つまり、ネパールは事実上、【経済的にインドの一部】なのである。
この現状を踏まえると、「ネパールが中国から化石燃料の輸入を始める」という選択がいかに危険なものか分かると思う。中国からの輸入によって燃料が行き渡れば、短絡的なネパール人の事だから、インド不要論はますます加速するだろう。インド政府にしても、それをネパール政府の『裏切り』と捉えた場合、態度をさらに硬化させる事は想像に難くない。両者の溝が決定的なものになれば、ネパール政府も中国への【乗り換え】を本格的に進めるかもしれない。結果、晴れてネパールはインドの属国から中国の属国にクラスチェンジし、10年位して「インドの方がマシだった」と嘆く事になるだろう。‥‥‥まぁ、これはあくまでも「そういう事態もあり得る」という予測に過ぎないが、予測ついでに【最悪のシナリオ】も想定してみようと思う。
私の考える最悪のシナリオは、ネパール政府が完全に中国に乗り換えた場合に起きうる【ネパールの分裂】である。ネパール政府がインドとの関係を切って中国への依存を始めた場合、この事態を引き起こした南部のインド系移民は極めて厳しい立場に立たされるだろう。そんな時、もしマデシ系団体などが【ネパール南部の分離】及び【インドへの併合】を叫んだとしたらどうなるだろうか。当然、ネパール政府が認めるわけも無いが、彼らが仮に武装蜂起しようと思えば、武器はインドからいくらでも入手する事ができる。さらに、彼らがネパール国軍と全面衝突した場合、インド系住民を保護するためにインド国軍が越境してくる可能性が高い。そうなったら事態は完全にインドとネパールの【領土紛争】となり、当然、ネパール側に勝ち目は無い。結果、南部の肥沃な平地はインドの領土になり、ネパールには山しか残らなくなる。その山が活かせる観光ビジネスも中国人に乗っ取られて、資源になりそうなものはゴッソリ持ってかれて―――あとはご想像にお任せしよう。‥‥‥まぁ、さすがにそこまで酷い事にはならないと思うが、現実ってもんは時々、最悪の想定のそのまた斜め上をかっ飛んでったりするから油断は禁物だ。
さて、そんなワケだが、聞く所によると今日明日にも中国からのガソリン供給が始まるらしい。先の事は分からないが、もしかしたら、今のこの時がネパールの『運命の分かれ道』なのかも知れない。
(以下は現在SNSで出回っている反インド感情を煽る画像)
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