2012/08/31

Nepal-098: 動機づけ

勉強でもスポーツでも他のどんな事でも、成功を収めるために最も重要なことは変わらない。
それは、『成功するまでやり続ける』ということである。
何のヒネリもない当たり前の理屈ではあるが、結局、最後はそこに行き着くのだ。
さて、そこで注目すべきなのが、行動を引き起こしたり維持したりする心の働き、心理学で言うところの『動機づけ』(モチベーション)というものである。

学習に対する動機づけが弱い子供は、勉強に対して集中力が長続きせず、効率的に知識を積み上げていくことが出来ない。
また、わからない所があっても、自分から積極的に解決しようとはせず、大抵はそのまま放置してしまう。
こういった子は、たとえ知能が人並み以上あっても、遅かれ早かれ『勉強の苦手な子』になってしまう可能性が高い。
逆に、勉強の動機づけが強い子には向上心があり、主体的・意欲的に勉強に取り組むので、徐々に成績を伸ばしていく。
小学校ではまだ、それぞれの知能や発達段階によって学力が決まることが多いが、中学以降になると、この両者の蓄積の差が顕著に現れてくるようになる。
このように、学習に対する強い動機づけを持っていることは、学業において成功を収めるために無くてはならない才能なのである。

さて、その点、毎日任意で特別クラスに参加してくる子供たちは、他の子供達より強い動機づけを持っていると言えるだろう。
ただ注意しなければならないのは、現時点で強い動機づけを持っていたとしても、それがこの先ずっと続くとは限らない、という点である。
というのも、動機づけの種類によっては、ちょっとしたきっかけで失われてしまうような不安定なものもあるからだ。
では、安定した動機づけとはどんなものか、また、不安定な動機づけとはどんなものか、詳しく見てみることにする。

一般的に『動機づけ』は、大きく二つのタイプに分類できる。
これらはそれぞれ、『外発的動機づけ』『内発的動機づけ』と呼ばれている。
両者の違いは読んで字の如く、行動の原因となる動機が自分の「内から来るか、外から来るか」、という点にある。
例えば、「親が勉強しろとうるさいから仕方なく勉強する」とか、「良い点を取ったら褒めてもらえるから勉強する」というような行動は、外発的なものになる。
そういった外部との関係の上に成り立っている行動は、その関係が無くなってしまえば消滅する。
上記の例で言えば、「親が何も言わなくなった」とか、「良い点を取っても褒めてくれなくなった」といったような場合だ。
このように『外発的動機づけ』による行動は、たとえ一時的にはある程度の成果を上げたとしても、長期的に見れば大きな不安材料を抱えていると言える。

一方、好奇心や自己実現への欲求などによって生み出される行動は、外部に報酬を求めない、内発的動機づけによるものである。
内発的動機づけによる行動は、開始から終了まで自己の内部で完結しているため、周囲の影響を受けにくく安定する傾向がある。
例えば、去年のビルとシュレンドラには、「今の境遇から抜け出たい」という明確な意思が見られた。
彼らは、自分がより良い人生を送るために今、何をすべきなのかを自分の頭で考え、誰よりも勉強することを選んだ。
そして、奨学金という借金を背負ってでも私立校へ行くことを望んだ。
彼らの意思はずっと一貫しており、そこに強く安定した動機づけの存在を感じたからこそ、私は二人を支援することに決めたのだ。

では、今年のスリジャナはどうか。
彼女も勉強熱心ではあるが、去年の二人に比べると主体性というものが弱い気がする。
どちらかと言えば、内発的な行動ではなく、周りの大人の言うことをただ素直に聞いている、といった感じだ。
まぁ、去年の二人よりも23歳年下で、さらに女の子ということも考えると、彼らと同じレベルを要求するのは厳しいかもしれない。
ただ、本人は「将来は獣医になりたい」と言っているので、全く何も考えてないというわけでも無さそうだ。
今ひとつ不安な部分はあるが、それでももしこのまま最後まで頑張り抜いたら、チャンスを与えてもいいかもしれない。
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歳の子が親と離れてホステルで暮らしていくのは、決して簡単なことではないだろうが、彼女に強い動機づけがあれば耐えていけるだろう。
逆にダメっぽいなら、その時は村に帰せばいい。
というわけで、とりあえずは支援する方向で検討しつつ、私は引き続き様子を見ていくことにした。

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