2013/08/24

Nepal-121: 2013年度入試 (後)

マザーランド入試の翌日――――今日は『KEF HSS』の入試日だ。(ちなみに、『HSS』は『Higher Secondary School』の略で、12年生までクラスがあることを意味している)
このKEFはマザーランドと比べると規模も小さく、知名度は無に等しい。
事実、昨年の数学コンテストまで、私もこの学校の名を聞いたことがなかった。
しかし、日本の偏差値のような共通の評価基準が存在しないネパールの場合、「知名度や評判」と「実際の学校の質」は必ずしも一致しない。
こういった状況では、生徒の親たちはどの学校が良いかを客観的に判断することができず、学校の評判は校舎や設備の立派さなどの「外見」によって決まってしまいがちだ。
私が数学コンテストを企画した目的の一つは、そうした不確かなデータによらず、本当に良い学校をホステルの生徒たちのために探すことにあった。
まぁ、コンテストの結果だけで各学校のレベルを断定することは出来ないが、それでも一つの客観的なデータとして学校選びの参考になることは確かだ。
その結果、このKEFという学校を見つけ出すことができ、今、こうして生徒たちが入試を受けようとしている。
論理性には欠けるが、私はこういった『縁』にも何らかの意味があるのでは、と考えている。

さて、今日で試験二日目となるが、ホステルの生徒たちの様子は普段とあまり変わりはなかった。
昨日の入試に全員合格している事を彼ら自身はまだ知らないが、それでも今日の試験を前に緊張している様子も見られない。
朝食をすませた後、身なりを整えた子供たちを連れて、いよいよKEFへ乗り込む。
KEF
はホステルから歩いて30分ほどの所にあり、我々が学校に着いた時には、プシュパ一家もすでに来ていた。
受付が始まるまでの間、私はプシュパの妹・ジャラナに、「何度も見直しをすること」や「難しい問題は後回し」といった試験のテクニックを教えた。
実力が及ばずに落ちるのは仕方ないとしても、昨日のように実力を出し切れずに終わってしまうことだけは避けたい。

やがて受付が始まり、ビル、シュレンドラ、スリジャナ、サンジェイ、ジャラナの5人は、それぞれのクラスへ案内されていった。
保護者への説明では、試験は約1時間で終わるという事だったので、私はプシュパと彼女の母親と一緒にベンチに座って待っている事にした。
すでに太陽は高く、気温も30度を軽く超えている。
6
9月頃がモンスーンの季節(雨季)になるネパールでは、4月は真夏なのである。
ただ、標高が若干高いせいか、あるいは湿度がそれほど高くないからか、日本のうだるような暑さに比べればいくらかはマシだ。

さて、試験が始まってしまえば、後はもう生徒たちの力を信じて、運を天に任せるしかやることがない。
というわけで、私は売店で買ったぬるいコーラをすすりつつ、ボーっとKEFの慎ましい校舎を眺めていた。
そんな矢先、一人の男の子がヒョコっと教室から出て来るのが見えた。
まだ試験が始まってから30分くらいしか経っていない。
「どうしたんだろう」と思い、その子の顔を見れば、なんとサンジェイだった。
これには私もびっくらこいた。むしろ、ありえない事態を目の当たりにし、全身から一気に血の気が引いた、と言ったら言い過ぎだろう。
「一体どうした?」私が問うと、サンジェイは「もう終わった」と答えた。
一通り答えを書き終わっても、制限時間いっぱいまで何回も見直しするようにいつも言ってるのだが。
「見直ししてたら先生が来て、『終わったら行っていいよ』と言って、答案を持ってっちゃった」サンジェイはそう言って苦笑いした。
なるほど――――つまり、答えを書き終えた答案を見た試験監督が、すぐに採点を始めるために回収したというわけだ。
まぁ、そういう事なら仕方が無い。私は気を取り直して、試験内容について訊いた。
彼が言うには、問題は数・英・理から各34問ずつで、昨日のマザーランドよりは簡単だったらしい。
見直しはできなかったが、本人も手応えは感じているようだ。

そうこうしている内に、一人また一人と試験を終えた受験生が教室から出てきた。
シュレンドラたちも出てきたので、同じように試験の出来栄えをきく。
スリジャナも昨日の試験より簡単だったと答えた。シュレンドラなどは「問題が少し変わっていて面白かった」と興味深い感想を述べた。
いずれにせよ、みんなそれなりに手応えを感じているようだ。
そんな仲間内で最後に出てきたのは、ジャラナだった。
感想を訊いても、他の子供たちに比べていくぶん自信無さそうな表情をしている。
とは言え、昨日のようなトラブルも無く、やれるだけの事はやれたみたいだ。
後はそれが合格ラインに届いているか否か、裁定が下るのを待つのみである。

試験を終えた受験生たちは、保護者と共に学校の中庭に移動し、そこで待つように指示された。
どうやら、この場で合格者が発表されるらしい。
しばらく待っていると、教師(らしき人)が中庭にやってきて、リストを片手に何人かの合格者の名前を読み上げた。
名前を呼ばれた受験生たちは早速手続きのため、事務所の方に案内されていった。
しかし、読み上げられた中にホステルの生徒の名前は無かった。
「まさか、合格者はそれだけなのか?」私は状況が見えず混乱した。
周りを見れば、他の受験生と親たちも同じ事を考えているようで、何やら皆そわそわしている。
そもそも、一年生以外のクラスにはすでに生徒がいるのだから、この入試は各クラスの欠員を補充するためのものでしかない。
一クラスの生徒数は最大で40人と決まっているので、もし5年生で欠員が一人しか出なかったとしたら、(原則的には)合格するのは一人だけという事になる。
実際のところ、各学年で何人くらいの欠員が出ているのかは知らないが、最悪の場合、合格者が一学年に数名だけという事もあり得る。

しかし、冷静になってみれば、試験が終わってからまだ一時間ほどしか経ってないのに、もう全ての採点が終わったとは考えにくい。
案の定、しばらくするとまたさっきの教師がやって来て、同じように数人の名前を読み上げていった。
つまり、こういう事なのだろう。
今、まさに採点が行われている最中で、その採点が終わったものの中で合格点に達した受験生から、順次呼ばれているのだ。
もし最後まで名前を呼ばれなければ、不合格ということである。

そんな時、シュレンドラの携帯が鳴った。
電話は彼の父親からで、マザーランドから合格の知らせがあった、という事だった。
私はすでに結果を知っているが、そこで初めて合格を知ったシュレンドラはとても嬉しそうだった。
まぁ、もうKEFの試験も終わったし、昨日の結果を教えてもいい頃合いだろう。
私はそう考え、ビル・スリジャナ・サンジェイの3人にもマザーランドの合格を伝えた。
飛び上がってはしゃいだりはしなかったが、みんなそれぞれ喜びと安堵を噛み締めているようだ。
「おめでとう、よく頑張った」私は彼らにそう言った。
ただその後は、一人だけ不合格となったジャラナに気遣うような雰囲気になった。

KEFの教師がシュレンドラの名前を呼んだのは、それから程なくのことだった。
その少し後にサンジェイが、さらにしばらく間を置いてスリジャナとビルの名前も読み上げられた。
何だかんだで結局、私の教え子たちは全員、マザーランドとKEF両方とも合格したのだった。
しかし、ここに至ってもまだジャラナの名前は呼ばれていない。
時間が経つにつれて、プシュパ親子の表情にも不安の色が濃くなってくる。
すでに合格している他の4人もジャラナを心配してか、段々と口数が減ってきた。
同じ学年のサンジェイが呼ばれてからかなり時間が経っている事を考えると、おそらく採点はすでに終わっているだろう。
それでも呼ばれないという事は、もう望みはほとんど無いような気がする。
『とりあえず今年は諦めて村に帰ってもらって、来年また挑戦してもらおうか』私はすでにジャラナが落ちた事を前提に、これからの事を考え始めていた。

そんな重苦しい雰囲気が破られたのは、陽も傾きかけた頃の事だった。
ついにジャラナの名前が呼ばれたのだ。
だが、合格の知らせかと思いきや、何やら様子が違う。
名前を読み上げた教師が言うには、どうやらこれから面接を受けなければならないらしい。
おそらく筆記試験の成績がギリギリだったか、あるいは解答が不明瞭だったので、口頭で質問してみようという事なのだろう。
いずれにせよ、これが最後のチャンスである。

面接はKEFの理事長が自らするようだ。
面接にはプシュパが保護者として付き添い、私はドアの外で聞き耳を立てていた。
まず、プシュパに家庭環境やジャラナがこれまで居た学校などに関する質問がされた。
その後、ジャラナに口頭でいくつか問題が出されたが、見た感じ、ジャラナはきちんと答えられているようだ。
それが終わると理事長は再びプシュパに何やら話をしていたが、その様子からどうやらジャラナが面接に通ったらしい、と私は感じた。
面接が終わって部屋から出てきたプシュパに訊くと、やはりその推察は当たっていた。
試験の成績はイマイチだったが、口頭での受け答えでは問題無かったので、合格ということにしてくれたらしい。
それを聞いた私は、肺の底から深い息を吐いた。
ギリギリのところで何とか手が届いた、といった感じだ。
「こんなにハラハラしたのは初めて」プシュパも心底ホッとした顔でそう言った。
とにもかくにも、これでようやく今後の展望が定まった。
これからやらなければならない事は沢山あるが、ひとまずは一件落着と言っていいだろう。

やれやれだぜ、である。

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