2016/11/09

米大統領選と民主主義の限界

 今日、いよいよアメリカ大統領選の投開票が行われる。これまでもそうだったように、世界で最も影響力を持つアメリカ大統領の選挙は、アメリカ国内だけでなく世界全体の今後を方向付ける重要なものとなるだろう。ただ、今回の大統領選はこれまでのものとは大分異なり、混沌とした様相を呈している。
 その台風の目となっているのは言わずもがな、共和党の大統領候補ドナルド・トランプという存在である。彼自身の大統領としての適正や資質はともかくとして、ひとつハッキリしているのは、彼の言葉や態度に驚くほど多くの人々が共感しているという事実だ。
 トランプの大統領選のスローガンは『Make America Great Again』であるが、この『America』とは要するに『白人』のことである。あるいは、『白人中心のアメリカ』と言い換えてもいい。つまり、自由競争に敗れ、下流階級に落ちぶれた白人が、自分たちの自信を取り戻してくれそうなドナルド・トランプに、こぞって期待を寄せているのである。そこからは第一次世界大戦の敗戦、およびそれによって課せられた莫大な賠償金と様々な制約によって、失意のどん底を這いずっていたドイツ人が、圧倒的なカリスマを備えたヒトラーに魅了されていったのと同じ構図が見られる。

2015/11/18

なぜパリばかり注目されるのか

先日のパリ同時テロ事件のすぐ後から、世界中で建物をフランス国旗の色にライトアップし、フランスへの哀悼と連帯感を示す現象が見られた。
一日遅れて日本でも東京タワーとスカイツリーが青白赤の三色にライトアップされた。
FACEBOOK
でも、多くの人が自分のプロフィール画像をトリコロールカラーにしている。
しかし、こういった世界の安っぽい連帯表明に対して、違和感を訴える声が大きくなっている。
その代表的なものは、以下の通りだ。

「なぜパリばかり注目されるのか」
「前日にレバノンでも40人以上が犠牲になる連続自爆テロが起きているのに、どうしてその事には誰も関心を示さないのか」
「アラブ人の命はフランス人のそれより軽いのか」
「これは人種差別だ」

こういったフランスとレバノンに対する人々の関心度の格差を指摘する声は、今やアラブ世界だけでなくそれ以外の人々にも広まっている。
フランスへの連帯に対抗して、レバノンの国旗を自分のプロフィール写真に重ねる人々も増えている。
そういったわけで、遅ればせながら私も自分のプロフィール写真をトリコロールカラーにしてみた。

2015/10/26

ネパール、運命の分かれ道か

 ネパール新憲法が発布されて、一ヶ月―――ネパール~インド国境周辺の混乱は未だ解決の気配を見せる事なく、ガソリンやプロパンガスの欠乏も極限状況に近づいている。そんな中、ネパールは最大の祭りである【ダサイン】【ティハール】の季節を迎えている。日本で言うところの「盆と正月」みたいなものだが、カトマンズなどの都市部では、地方に帰省する人々が本数の激減したバスの空席を巡って、大混乱に陥っているという。
 燃料危機の煽りを受けているのは一般市民だけではない。外国人旅行者にとっても気候も穏やかで晴天が続く今は時期は、本来であればトレッキングのベストシーズンである。だが、現在進行中の燃料危機によって、最大の書き入れ時にもかかわらず、旅行者数は震災直後の最悪の水準にまで逆戻りしている。また、カトマンズ空港に乗り入れている中国の国際線も、燃料不足の影響で一時的に運行を停止している。このままの状態が続けば、やがてそれは他の航空会社にも波及するかもしれない。
 ネパール政府はインド政府と引き続き対話を続けており、解決の糸口を探ってはいるようだが、実際どこまで本気なのかは分からない。ネパールのニュースや新聞の情報もまとまりが無く、どれが本当なのか分からない。ならば、BBCやアルジャジーラなど海外の主要メディアはどうかというと、今はヨーロッパの難民問題やパレスチナ紛争で忙しく、最貧国ネパールには誰も関心を持っていない。そんな訳で、ほとんどのネパール人同様、私自身も今現在の状況を正確に把握できていないのである。
 だが、一つ明らかなのは、多くのネパール人が今の状況の責任は全てインドにある、と考えている事だ。私が調べた限りでは、物資の輸送を妨害しているのはネパール側のマデシ系住民で、物資を積んだトラックは国境のインド側でずっと待機している状況のようだが、それでもネパール人の間では反インド感情が燃え上がっている。

2015/10/13

ネパール新憲法の試練

 ネパール新憲法の発布から一夜明けて、まだまだ街には祝賀ムードが漂う中、突如、その熱気に冷水どころか液体窒素を浴びせるようなニュースが流れてきた。それは「インドが新憲法の内容に反発し、ネパールとの国境を閉鎖した」というものだった。
 これはネパールの新たな船出が、出航翌日にして早くも最大級の嵐に見舞われた事を意味する。