2012/06/26

Nepal-088: ホステルを作る

さて、この時期を選んで再びネパールに来たのには、もう一つは理由があった。
それは、ビルとシュレンドラらがポカラで生活するホステルを、この休み期間を利用して作ろうと思ったからだ。

現在、彼らが入っている『KH学園』の学生寮はあまりにも高額だ。
経済的に言っても、いつまでも二人をそこに預けておく事は不可能である。
また、環境についても、寮の至れり尽くせりなサービスは、自立心とハングリー精神を養うのには向かない。
ならば、彼らがその環境に慣れきってしまう前に、出来るだけ早く出してしまおうと考えたのだ。

2012/06/24

Nepal-087: 成長

201110月上旬、約5ヶ月ぶりにネパールへ帰ってきた。
もうこれが何度目の訪ネパールかも覚えてない程だが、日本とは全く違う環境だけに毎回感覚のズレを感じる。
まぁ、それは日本に帰った時も同様ではあるが。

ネパールはちょうど最大の祭り『ダサイ』の真っ只中で、空港も目につく職員の数は少なく、また、いつも以上にやる気が感じられない。
入国審査のカウンターには長蛇の列ができているが、そんなもの目に入っていないかのように、審査官たちはおしゃべりしながらのんびり作業している。
やっとパスポートにスタンプをもらい、ターンテーブルに着いた時にはもう機内預け荷物はフロアに投げ出されていた。
税関でも係員は椅子に座ったままで、外国人は全員スルーだ。X線検査機すら動いていない。
相変わらずネパールでは、世界とは別の時間が流れているようだ。

宗教

最近、手塚治虫の『ブッダ』を読む機会があったので、今回は少し宗教について書いてみたい。

問: あなたは、「欧米人の思考がよく分からない」と思った事はありませんか?

この質問に「いいえ」とハッキリ答えられる日本人は、ほとんど居ないだろう。
これは日本人に限らず、アジア人全体に共通する感覚と言える。
だが、それは欧米人の側からしても同じようである。

2012/06/08

Nepal-086: 入学

ビルとシュレンドラがKH学園に通うことが決まった。
ただ、一つ残った懸念はやはり通学に関する事だった。
ネパールの私立校はどこもスクールバスを走らせており、KH学園も例外ではない。
しかし、生憎というべきか案の定というべきか、そのスクールバスもラムガディ村の近くまでは来ていなかった。
スクールバスを利用せずローカルバスで通学する事もできるが、私はそこまで二人に要求するべきかどうか悩んだ。
 

2012/06/05

Nepal-086: 私立KH学園

奨学金と共にリスクを背負うか。
私はビルとシュレンドラに一晩考える時間を与え、親とも相談させた。
そして翌日、彼らは揃ってポカラの私立校へ行くことを希望した。
彼らの瞳には、長時間の通学もより大きな責務も辞さない強い意志が見えた。

2012/06/04

Nepal-085: 奨学金

シャムロックの入学試験に落ちてしまったビルとシュレンドラ。
しかし、彼らの成長に大きな可能性を感じた私は、私立校の学費を『奨学金』という形で援助する事にした。
ちなみにネパールの場合、私立校といっても学費自体はだいたい月2,500円ほどでしかない。
ただ問題はどこの学校に行かせるか、という事である。

2012/06/03

Nepal-084: これまでの流れ

新装開店ということで、サクッとこれまでの流れを振り返ってみよう。

2007年:
インドのマザーハウスに1年半ほど居た後、ネパールへ。

2007年:
ネパールの都市・ポカラに滞在中、ふとした縁から小学校で教師することになる。担当科目は英語。試行錯誤の日々。

2012/06/02

引越しのご挨拶

この度、旧ブログ『○○○さがしの旅』から越してきました、ACEと申します。
一年の半分ほどをネパールで過ごし、現地で教育関連の活動をしています。
そんな日々を通して目に映るネパールのこと、世界のこと、そして人間のことを、自分なりの言葉で綴って行きたいと思います。