2012/06/08

Nepal-086: 入学

ビルとシュレンドラがKH学園に通うことが決まった。
ただ、一つ残った懸念はやはり通学に関する事だった。
ネパールの私立校はどこもスクールバスを走らせており、KH学園も例外ではない。
しかし、生憎というべきか案の定というべきか、そのスクールバスもラムガディ村の近くまでは来ていなかった。
スクールバスを利用せずローカルバスで通学する事もできるが、私はそこまで二人に要求するべきかどうか悩んだ。
 

KH
学園の職員に聞いても、そんな遠くの村から通学する生徒はいないと言う。
ポカラの私立校に行きたいといった時、二人とも往復3時間の通学を覚悟していた。
慣れるまでは大変だろうが、私も彼らならそれが出来ると思っている。
それでも改めて考えれば、やはり村からの通学が合理的だとは思えない。
通学に時間がかかるだけ、家で勉強できる時間が減ってしまう。
私自身、学校から帰ってきてシャワーを浴びたら、もう何もする気が起きない。(当然、ブログを更新する気力も無い)
せっかく良い学校に入れても、通学で疲れて勉強がおろそかになっては意味が無い。
私はしばらく考えたが、私自身の今回の滞在期限が間近に迫っている事もあり、結局、ビルとシュレンドラをKH学園の学生寮に入れる事にした。

ただ問題は、寮での生活費が一人あたり毎月一万円もかかる事だ。
二人分くらいなら払えない金額でもないが、この方法では今後さらに援助する子供を増やしていく事は難しい。
それに一応彼らには奨学金の返済義務があるので、親の月収以上の高額な入寮費は彼らにとっても大きな負担になる。
さらにもう一つ付け加えるなら、寮という環境が彼らに悪影響を与えてしまう危険性もある。
基本的にポカラの私立校に通う生徒は、それなりに経済的な余裕がある家庭の子供たちだ。
特に高額な学生寮に子供を入れておけるような家庭は、まず例外無く裕福な家である。
そんな良い所のボンボンに囲まれて暮らす事で、二人が自分の立場を忘れてしまう事もあり得るのだ。
これらの事を考えると、当面は二人を寮に入れておくとしても、できるだけ早く何か別の手を考える必要があるだろう。

それはともかくとして、とりあえず入学が決まったので、私は早速ビルとシュレンドラを連れて制服や教科書など必要な物を買いに行った。
教科書は全て英語で書かれている(国語を除く)。
筆記用具はエンピツではなく、万年筆を使う決まりらしい。

そんなこんながあって数日後、二人は身の回りの物を持って寮に入り、KH学園での学生生活が始まった。

(左:シュレンドラ、右:ビル)

それから程なくして私の帰国の日がやって来た。
ビルとシュレンドラもまだ新しい学校に馴染みきってはいないようだが、特に問題は無いと言っている。
まぁ、二人ともしっかりしているし、同じクラスだからそれほど心細いという事もないだろう。
こうして私は友人・知人に別れを告げ、5月上旬、日本に帰国した。
早いようで短かった3ヶ月半だったが、その間にたくさんの出来事があり、たくさんの変化があった。
いずれも1月に来た時には予想もしていなかった事だが、どれもある意味、私の活動の自然な成り行きと言えるだろう。
自分の行動によって波紋のように状況が変化していく興奮こそ、私がネパールでの活動に求めているものなのかもしれない。

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